一般的な、てのひら全体を合わせる合掌ではなく。
手を脱力し、
指先とてのひらの付け根の骨だけがくっつく、
手と手の間に空間ができるような合掌を推奨しています。
目的にもよりますが。
で、
最近施術を受けにきてくださったAさんにも、
セルフケアのひとつとしてその合掌をお伝えしました。
すると。
Aさんとはご縁をいただいてから10年近く経つ、
長いお付き合いなのですが。
合掌きっかけで、
これまで聴いたことのなかった話をしてくださいました。
これまで施術中に、
お母さんのお話しはたびたび聴いたことがあったんですね。
でも、
お父さんの話をされることは、
1度もなく。
僕からも訊くこともなく。
だったのですが。
そのお父さん(Aさんいわく、クソ親父)のことを、
初めて話してくれたのです。
クソ親父は、
まだ物心つく前のAさんとお母さんを置いて、
家を出たそうです。
その後、
1度も会ったこともなく、
養育費が払われたこともなく。
悲しいですよね。
憎いですよね。
そんなクソ親父から、
Aさんが大人になってから、
何度か連絡があったそうなんです。
が、もちろん拒絶。
そんなクソ親父と、
今さら会う理由がない。
今さら連絡してくんなや。
クソが。
・・・と、そんな中で。
僕が書いたあるブログ記事を読まれたそうです。
これです⇒<2大タブー。>
その記事の中では、
「親を祈る。」ことをオススメしています。
僕がAさんの立場で↑の記事を読んだら。
「んだよ、キレイごと書きやがって。」
と、
実践しようなんて1ミリも思わないはずです。
が!
Aさんは、
実践してみたのです。
自分なりに工夫をして。
どんな工夫をしたのか?
図と説明文を送ってくれました。
父親の名前が書かれた卵をイメージし、
その卵をふわっと優しく包み、温める。
それを実践してみたそうなのです。
するとクソ親父に対するイメージが、
少しずつ少しずつ、変わってきた。
↑の図、
卵に書かれているクソ親父の名前(仮名)読めますか?
阿保野 助平
ですよ。
阿保野 助平
100%憎悪の対象でしかなかったら、
そんなふざけた仮名をつけられますか?
憎悪じゃなくて、
小馬鹿にしてるんですよ。
憎悪よりも小馬鹿にする方が、
エネルギーとして軽く感じませんか?
憎悪って、重いですよね。
めちゃ重。
もちろん憎悪がなくなったわけではないでしょうけど、
でもそこに小馬鹿にするという軽めのエネルギーも入ってきた。
変わってきたのだと思うのです。
で、その結果。
会うどころか連絡さえとることを拒絶していた、
クソ親父。
「自分でも不思議なんですけど、父と会ってみようかなと思いはじめたんです。1年以内に、1度会ってみようかなと。」
すごい変化じゃないですか。
この記事↓にも書いていますが。
「親を祈る」って、
親のためじゃないのです。
自分のため、なのです。
親との関係性で深く傷ついた、
自分を癒すため。
Aさんは、
「阿保野助平の卵」を手で柔らかく包み込んでいるうちに、
Aさん自身の傷が少しずつ少しずつ癒されてきたのかもしれません。
親のことを想像するだけで、心がざわつく方。
もし気が向いたら、
Aさんを参考に祈ることを試してみるのもアリかもしれません。
もちろん気が向かなかったら無理にやる必要はありません。
親を大切にとか、親に感謝しようとか、
そういうのは絶対ではありませんから。
許せないなら、許せないままでいい。
許せない自分を、許しましょう。
ではでは。