こころとからだ

2大タブー。

「結果」には「原因」があり、
原因にもさらに深い原因があり、
それが何層にも重なり
もっとも深いところにあるのが「根本原因」です。

で、その根本原因に近いところまで掘り下げていったとき、
多くの方に共通してぶち当たる、
2つがあります。

それを僕は「2大タブー」と呼んでいます。

2大タブー。

それは、

「性」の問題と、
「親」の問題です。

そしてこの2つは、
どちらか一方だけの問題・・・というよりも、
絡み合っていることが多いです。

そして、とてもデリケートな問題です。

過去の個人セッションで、
この2つをテーマにしたとき。

お客さんに心を頑なに閉ざされてしまったり、
反発されて激しい怒りを出されてしまったり、
そういう風になってしまったことが、
何度もあります。

怒ってセッションを強制終了されて帰られた方もいましたし、
セッション後にメールで罵倒されたこともあります。

度々そういう経験をしてきたので、
この2つをテーマにするときは、
僕なりに言葉を選んで、
慎重にお伝えするようにしています。

「性」や「親」のことって、
人によっては、
かなりデリケートな問題なのです。

伝え方やタイミングを間違えると、
一気に信頼関係が損なわれます。

「人によっては」と書きましたが、
完全にその2つの問題をクリアしている人の方が、
圧倒的に少ないようにも感じます。

でも、とっても大切なのです。

この2つに目を背けたままで、
表面的な手段で問題解決を図ろうと思っても、
根本的な解決にならないことが多いと思います。

もちろん、すべての人がそこと向き合うべきだとも思いません。

僕のセッションでも、
すべての人にそこと向き合ってもらうようなことはしません。

むしろ、
そこと向き合うことになるセッションの方が、
少ないです。

深い信頼関係の構築と、
お客さんと僕、お互いの覚悟を決めるタイミングが合わないと、
そこまで踏み込んでも逆効果になることが多いからです。

ただ、本当は、
そこに向き合っていくことは、
多くの人にとって根幹となる、
大切なことだと思っています。

いろいろな家庭環境があり、
中にはとても複雑な、とても壮絶な、
家庭環境で育ってこられた方もいます。

そんな中で。

安易に、

「親に感謝しろ」

なんて、言えません。

許せなかったら、許さなくてもいいんです。

感謝できないなら、感謝しなくてもいいんです。

ただ、
自分のいのちが、
両親のいのちが繋がることによって生まれたことは、
変えようにも変えられない明らかな事実なのです。

親の性格や言動を許す・認めることは、
できないならしなくてもいいです。

ただ、もっと根本にある、
親のいのち・存在。

そこまで否定してしまうと、
それは自分自身を否定してしまうことになるのです。

なにがあったとしても、
自分のルーツは両親です。

自分のルーツを否定するということは、
自分を否定することになります。

根本的なところで自分を否定している状態で、
無条件に自分を信頼することなんて、
できるわけがありません。

逆に、
無条件に自分を信頼できるようになると、
自然に親を受け入れることができるようになる、
ともいえます。

僕はそっちのパターンだったと思います。

繰り返しになりますが、
親の言動や性格を許す・認めることは、
できないならしなくてもいいと思います。

もっと根っこにある、親のいのち。

それを受け入れるだけで、いいのです。

それができれば、
自分自身のことももっと深いところで受け入れることができるようになってきます。

では、親を受け入れるためには、どうすればいいのか?

僕が知っている、確実に効果のある方法をお伝えします。

それは、「祈る」ことです。

親を、祈ります。

「願う」ではありません。

「祈る」のです。

「願う」と「祈る」は、違います。

似ているようですが、全く別物です。

「願う」というのは、
「こうなってほしい」のような、
文字通り「願望」です。

「祈り」には「願望」は含まれません。

よく、

「成功を祈っています。」

とか、

「体調の回復を祈っています。」

とか、
そういう風に使われますよね。

でもそれ、祈りじゃなくて願いなのです。

正しい日本語の意味としてそうだという意味ではなく、
あくまでも僕の感性では、ですが。

じゃあ祈るってなんなの?というと。

祈るって、繋がることなんです。

意識を一体化させることなのです。

神に祈るって、
神にお願い事をすることではなく、
神と一体化することなんです。

なので、
親に祈るということは、
親を許すでも感謝するでもなく、
親と一体化することなんです。

エネルギー的な、意識の一体化です。

意識の一体化なら、
親が近くにいなくても、
もうこの世にいなくても、
できます。

祈りの象徴としての行為が、
合掌です。

本来合掌でつくられる状態は、
願いではなく祈りの状態です。

両手を柔らかく丁寧に合わせるだけで、
祈りの状態になります。

その状態で、
親に意識を向けます。

それが、親に祈ることになります。

騙されたと思って、
しばらく親に祈ることを毎日続けてみてください。

親のためではありません。

自分のためです。

自分を救うためです。

すごく葛藤がある人もいると思います。

すごく時間がかかる人もいると思います。

強い抵抗があるなら、無理はしないでください。

強いストレス状態で無理にやっても、
余計に抵抗が強くなり、逆効果になります。

でも、なんとなく、やってみようかな?と思えたのだとしたら。

毎日少しずつでも、やってみてください。

偉大な教祖に祈るよりも、親に祈る方が大切だと思います。

確実に、人生が変わります。

僕なりに言葉や表現を選んで書いたつもりですが、
それでも不快な想いをしてしまった方がいたら、
ごめんなさい。

ではでは、ありがとうございました。