こころとからだ

「まんざらでもない」

「6月の大阪出張時、お時間いただけるところはありますか?」

「金曜の夜でしたら、空いています。」

「なんばまでお越しいただくことは可能ですか?」

「はい、大丈夫です。」

「では、なんばにて所用を済ませたあと、食事でも。」

「はい、よろしくお願いします。」

・・・ん?所用ってなんだ?!

気になる。

すごく気になる。

でも、あえて内容を書かないということは、「訊くのは野暮」ということなのだろう。

「所用」の中身が気になりながらも、当日までおあずけ。

そしていよいよ当日。

「では、行きましょう。」

・・・どこに?

でも、ここまで訊くのを我慢したんだ。

最後まで我慢しよう。

と、どこに行くのかもわからず、ついていく。

そして到着したのが、某アパレルショップ。

え?!

いくつか予想していたのです、「所用」の内容。

が、アパレルショップは、まったくの予想外。

「オンライン講座でお世話になったので、お礼をさせてください。」

え?!

店長さんに、全身コーディネートしていただきました。

ハット・シャツ・ジャケット・パンツ・靴

自分じゃ絶対できない組み合わせ方。

そして、特にシャツ!

自分じゃ絶対買わない。

違和感がすごい。

店長さん「ギリギリを攻めると、こんな感じになります。」

僕に合うファッションのキャパ、ギリギリのラインを攻めてくださったそうで。

そのラインを超えると、似合わなくなると。

え?これほんとにギリギリ入ってるんですか?

僕の感覚だと、はみ出しているんですけど笑

僕は服に関しては「攻める」ということを、ほとんどしたことがありません。

そもそもあまり買わないし、買うにしても「無難」なもの。

なので、ギリギリを攻めてもらった服、着るとソワソワしたのです。

なんか落ち着かない。

いや、なんか、ではなく、かなり落ち着かない。

ですが、プロのコーディネートですし、しかもその一式をプレゼントしていただけるということで、お言葉に甘えました。

服に関して、僕自身が感じているキャパと、客観的に店長さんから観た僕のキャパ、違ったということですよね。

僕は僕自身の服のキャパを、かなり狭く設定していた。

だから店長さんにとっての「キャパギリギリ」が、僕にとっては「キャパオーバー」に感じたのかもしれません。

で、そのキャパギリギリの服。

最初は違和感バリバリだったのですが、不思議と着ているうちに慣れてくるんですね。

で、慣れてくるころに、いろいろなおもしろい気づき・変化もあったのです。

その気づき・変化について、12月のオンラインコラボ講座でお話ししました。

その流れで、

「谷田先生、今度は冬服もほしいです♪」

冗談だったんですよ、ほんとうに。

下心0%ですよ。

その場がちょっと和めばいい、ちょっと笑いがとれればいいと思っただけだったんですから。

なのに。

冬服もプレゼントしてもらったのです。

そして今回も同じ店長さんにコーディネートを。

やっぱりギリギリを攻められるんですよね。

いや別に僕はギリギリでいつも生きていたいわけではない。

特に服は。

無難でいい。

と思っているはずなのに。

ギリギリを攻められた、自分じゃ絶対選ばないシャツとハット。

試着をして。

やっぱりソワソワするのですが、一方で

「まんざらでもない。」

と感じている自分がいるのです。

不思議ですね。

で、その一式。

昨日の大阪講座で着て、参加者の皆さんに見てもらったのです。

最初から着ておくのは恥ずかしくて、途中で着替えたのですが笑

そしたらね、大好評だったんですよ。

たぶんあれはお世辞ではない。

本気で褒めてくれていたと思います。

褒められるのも恥ずかしい。

でも、やっぱり、「まんざらでもない。」

では、皆さんにもお披露目します。

さすがに、なにがなんだかわからないですね。

もう少し、モザイクを薄くします。

こんな感じで。

別に出し惜しんでいるわけではなく、誰が見るかわからない、そしてリアクションもわからないところに晒すのは、まだ恥ずかしいんです笑

が、「自分じゃ絶対選ばない」夏服と冬服を一式プレゼントしていただき。

実感したことがあります。

キャバが拡がるときって、快だけではなく不快もセットでついてくる。

むしろ不快の方を強く感じるかもしれない。

人間には「恒常性を保とうとする本能」があります。

「今まで通り」が「安心・安全」なのです。

逆に、キャパが拡がる=「今まで通りから外れる」ときには防衛本能が働き、ブレーキをかけようとしてくる。

そのキャパが拡がろうとするときの不快・違和感の正体は、そのブレーキなのだと思います。

ということは、ブレーキがかからないようなことばかりやっていても、自分(のキャパ)は変わらない、ということなのかもしれません。

先日大阪で施術を受けてくださったあるお客さんが、こんなことを話されていました。

「人は慣れていない幸せよりも、慣れている不幸の方を選んでしまうのかもしれませんね。」

そう、ほんとうにそう。

慣れている方、今までのパターンを選んだ方が、安心なんですよね。

僕も着慣れている服を着ている方が、安心なんですよ。

ギリギリを攻められた服を着ると、ソワソワする。

なんだか照れくさいし。

でも僕は、経験的に知っているのですよ。

服は無難なものを選んできましたが、仕事に関してはそれなりに攻めてきた=キャパを拡げてきた自負があるのです。

で、仕事で攻める=キャパを拡げるときも、こんな感覚だったなぁって。

ギリギリを攻められた服を着た時と、一致する感覚があるんです。

表面的には、ストレスを感じている。

不快・不安・違和感。。。

一方で、深いところで感じている感覚もあって。

それが、

「まんざらでもない。」

ストレスに感じるけど、「まんざらでもない」という感覚も共存している。

それがキャパが拡がるときの感覚なのかもしれません。

ストレスに屈して諦めるのか、「まんざらでもない。」を信じて勇気を出すのか。

もちろん「まんざらでもない。」が存在しない「ただのストレス」は、なるべく回避した方がいいですね笑

ということで、週末のオンラインコラボセミナー、僕担当の裏テーマは「まんざらでもない。」になりそうです。

で、僕まだ慣れきっていないのですよ、攻めてもらった冬服。

大阪で着て少し慣れたとはいえ、まだまだ違和感があるし、恥ずかしくてソワソワするんです。

このオンラインセミナーでも、生着替えをしようと思っていて。

見てほしいから、というわけではないのですよ。

いやそれも少しはあるのかもしれませんが笑

それよりも、エネルギーを浴びてほしいのです。

キャパを拡げようとしている僕のエネルギーを。

攻めてもらった冬服を着ているときの僕=キャパを拡げようとしている僕、なので。

そのエネルギーを浴びてほしいのです。

そしてそのエネルギーで皆さんの中にもある「キャパを拡げたい欲求。」に刺激が入ればいいなと。

ちょうど今回、リクエストをいただいたテーマが「~自分が制限している枠を拡げる~」なので。

服というこれまで無難にやり過ごしてきたところに刺激が入ったことで、僕になにが起こったのか。

キャパ(枠)が拡がるメカニズムって、たぶんこういうことなんじゃないか?

そういう気づき・学びをお話しできたらと思っています。

ちなみにお申し込み期限は明日2/6(火)となっております。

2/9(金)・10(土)谷田・照喜名コラボ陰陽五行講座
※受付中

ギリギリでいつも生きていたい方も、無難に生きていきたい方も、お申し込みお待ちしております。