名古屋⇒伊勢のあとは、そのまま沖縄へ。
4日間の施術、1日休んで、講座。
そして昨日東京へ戻ってきました。
間に休みもありましたが、計10泊の長期出張でした。
沖縄に帰ってまずやりたかったのが、家族への手あて。
↑父への手あて。
ここ数カ月の心労は相当なものだったでしょう。
父だけではなく、姉も。
少しでもリラックスできる時間になればと、2人に手あてをさせてもらいました。
お客さんへの施術はココで↓
先週後半の沖縄、暑くてビックリでした。
1月なのに、夏日(25℃)に迫るような気温。
半袖でお越しになった方も笑
ただ、今週は沖縄も気温が下がるみたいですね。
暖かくしてお過ごしくださいね。
東京移転後も2カ月に1度は沖縄に帰っていて、沖縄の店に定期的に通ってくれていた皆さんのメンテナンスをさせていただいております。
地元沖縄で顔馴染みの皆さんに施術をさせていただくことが、貴重な原点回帰の機会になっています。
ありがとうございます♪
沖縄最終日は、<陰陽調和×瞑想>がテーマの講座。
リラックスとストレス。
感覚優位と思考優位。
統合と分離。
女性性と男性性。
陰と陽。
そういう内容。
情報としては知っている方も多いと思うのです。
でも情報として知っているだけでは、あまり意味がない。
アタマ(思考)で「知る」だけではなく、カラダ(感覚)で「わかる」ことが大切。
ついつい知っただけで、わかったつもりになってしまいがち。
でもやっぱり、体感することでしか腑に落ちない。
腑に落ちることでしか、ほんとうの意味での変化はありません。
陰陽法則。
「知っている」ではなく、どれくらい「わかって」いますか。
わかって、それが日常に活きるようになってくると、やっぱりココロもカラダも調い、楽になってきます。
「知る」のは、そんなに難しくありません。
が、「わかる」のは、自然法則から外れた生き方をしてきた人ほど、大変。
でも、大変だからといってあきらめるのは、とてももったいない。
そして知ったからといってわかったつもりになるのも、とてももったいないです。
知ることは第一歩。
でもそれはゴールではなく、スタートです。
「わかる」のゴールは、死の直前にしかないのかもしれません。
あるいは今世にはないのかも笑
それでも一歩ずつ「わかる」に向かって歩み続けたいし、僕にできる範囲で「わかる」のサポートをしていきたいです。
いただいたご感想の一部をご紹介します。
今日は講座どうも
ありがとうございました😊
これまではメモをする時
頭で考えてこれは書かなきゃ!
としていたのから
「気になる」にシフト
体感が反応したことを
メモしてみました♫
いつもとはまた違って
場の空気が途中から変化、
一体感が生まれたのを
なんとな〜くではなく
良い感じで観じられて
1人でおぉ〜✨って
感激してました😆
ふと何故か湧いて出た
「ラーメン」「天一」
もしっかりメモり🤣🤣
講座後にしっかり食してきました😆
今日1番わたしの深〜いところに
響いたのは
照喜名先生がお母様の話を
された時に
「悲しみの反対側が観えたから」
という部分でした☺️
陰100も陽100もない、
どちらもなんだと。
過去は変えられないけれど
観方は変化することができる
自ずと
必要なタイミングで
きっとそうなるんだな
ってそうかんじました😊
ありがとうございました✨
日々積み重ねて、日常にも活かしていきます♫
このメモ、すごくいいなぁと感じたのです。
「すべてを理解しなきゃいけない。覚えなきゃいけない。」
という「正しい学び」
学校の授業を受けているときのような、試験対策かのような。
もちろん、それが悪いわけではないのですが。
でも、僕の講座は、学校の授業でもないし、もちろん試験もありません。
だから、「いまの自分にとって必要なこと」が入ればいいと思うのです。
その「いまの自分にとって必要なこと」は、アタマで考えて判断するのではなく、感覚的に入ってきます。
「なんか響くなぁ。印象に残るなぁ。」みたいな。
↑のメモは、感覚的に響いたことを羅列しているんですね。
いまの自分が、どんな言葉に心を動かされたのか。
それが客観視できるメモ。
「講座内容を理解するため」ではなく「いまのわたしを理解するため」のメモ。
ちなみにマーカーが引いてある「ラーメン」「天一」という単語、僕は一切発していません笑
でも、自分(の感覚)がなにに反応するのかを感じながらメモをとっていたら、「ラーメン」「天一」というワードが湧いて出てきた。
なんかしらんけど、出てきた。
なんかしらんけど出てきたから、講座後に天一にラーメンを食べに行ったそうです。
なんか、いいですよね。
そういうのが「自分と仲良くなる。自分を大切にする。」ってことなのではないかなぁと。
・・・ということで、本題です。
「ラーメン 天一」
なんかしらんけどその単語が出てきたのが自分でもおもしろくて、マーカーを引いて送ってくれたのだと思いますが。
それよりももっと、すごい単語をみつけてしまいましたよ。
「ラーメン 天一」の、すぐ上にある単語。
<在存感>
<存在感>ではないのですよ。
<存在感>という単語は、講座内で何度も発しました。
それはハッキリ覚えています。
でも<在存感>なんて一言も言ってないし、書いてもいない。
そもそも読み方もわからないし、そんな日本語をはじめて見ました。
この講座では、冒頭から「どちらかではなく、どちらも」という話をしていました。
「どちらか」に偏るから、窮屈になり、こわばるのだと。
存在感と、在存感。
これも、どちらでもいいじゃないかと。
順番が逆でも、意味は伝わるでしょう?と。
細かいことに囚われず、本質を観ようぜと。
僕にとっては「ラーメン 天一」というメモの何倍も、
「在存感」を感じました。
じわじわくるなぁ。
じわじわ深いところで静かな笑いが生じ続けています。
僕が手あてで目指しているところ。
僕が手あてで探究している「じわじわ深く入る」を、たった3文字のメモでやられました。
でーじ癒されました笑
ありがとうございました。