こころとからだ

矛盾した2つの自分。

オンラインでは2つの3カ月コースを開催中です。

1つは、美尻塾。

そして、グループヒーリング。

美尻塾は、カラダの使い方を覚え、そして負荷をかけ、カラダを「変える」ことが目的。

グループヒーリングは、思考を鎮め、感情を鎮め、その奥にある「静寂」を感じ、「そのままの自分の価値」を体感する。

美尻塾は「変わる」ことで自信をつける。

グループヒーリングは「自分が自分であること」を信頼できるようになる。

ある意味、方向性が真逆なのです。

なので、僕のキャラも違う。

美尻塾は体育会系キャラが出てきて、グループヒーリングは癒し系キャラ。

LINEグループへの書き込みも、美尻塾は熱い系、グループヒーリングは柔らかい系。

矛盾するようですが、どちらも大切だと思っています。

「もっとこうなりたい。」

変化・成長の欲求と。

「そのままの自分を認めたい(認めてほしい)」

という欲求。

2つの異なる欲求を同時に持っているのが、人間なのだと思うのです。

コンプレックスとの向き合い方も、2種類あって。

ひとつは、努力する。

もうひとつは、受け容れる。

努力でどうにかなりそうなことなら、努力で克服しようとチャレンジしてみる。

素晴らしいことです。

結果はどうあれ、自分を変えようとチャレンジしてみたことが、尊い。

一方で。

残念ながら、努力ではどうにもならないことも、存在します。

そんな時は、それを嘆き悲しみ怒り落ち込むのではなく。

受け容れる。

年齢を重ねる毎に経験と体重は増え頭髪は減っていく僕の、心の師匠がいます。

受け容れるどころか、感謝までしている。

懐の深い男だ。

そんな心の師匠、ジェイソン・ステイサムは、髪がなくてもカッコいい。

いや、たぶん師匠レベルの境地に達すると、

「髪がなくても、じゃなくて、髪がないからカッコいいんだぜ。」

って言いそう。

そんな師匠は、髪はなくても筋肉はすごい。

ということで、僕もせっせとジム通いをして筋トレをしています。

自分で自分をカッコいいと思える体型になりたいのです。

沖縄にいるころは、

「トレーナーだからトレーニングをしなきゃいけない。」

と、義務でトレーニングをしていました。

東京にきてからは、

「自分がカッコいいと思える体型になりたい。」

と、好奇心・向上心でトレーニングをしています。

結果、いまの方がトレーニングを楽しめているし、定期的にちゃんと継続できています。

それなりの筋力があって、それなりの体型で、それなりに走れる。

それがフィジカル的に目指すところで、今はそれを目指すことを楽しめています。

髪のことはもう、受け容れました。

でも、筋力・走力・体型については、まだまだ成長の余地があると思っていて。

なので、例えば育毛剤に使うお金があるなら、プロテインやランニングシューズに使いたい。

変わりたいと努力する。

変わらないことを受け容れる。

どちらも大切。

変えられるものと、変えられないもの。

変えたいものと、変わらなくていいもの。

それぞれ、あると思うのです。

自分にとってしっくりくる形で、そのラベリングができるといいですよね。

本心では「変わりたい」のに受け容れて(あきらめて)しまうと、自分の中にモヤモヤが渦巻き続けます。

「変えられない。変わらなくていい。」ことを強引に変えようとすると、疲弊・消耗します。

「がんばらなくてもいい」の「悟り系」に振り切りすぎると、「変わりたい自分」を蔑ろにしてしまいます。

「変わらなきゃいけない」の「努力系」に振り切りすぎると、「ありのままの自分」を受け容れることができず、根本的なところでの自己信頼が起こりません。

「もっとこうなりたい。」の自分。

「ありのままを受け容れたい」の自分。

矛盾したふたつの自分が、どちらも存在しているのです。

どちらかに振り切るのではなく、どちらも大切にしたいですね。