こころとからだ

「自分がわからない」の理由。

前回の記事で、

目に過剰に負担がかかるのは、
第3の目(第6チャクラ)が機能していないのも影響している。

「目に見えるものばかりを見ようとして、
目に見えないものを感じようとしない」
と、第3の目が機能しなくなる。

目が疲れるのは、
目を使いすぎているだけではなく、
思考を使いすぎていることも影響している。

思考モードは眉間をこわばらせる。

眉間がこわばると、
第3の目にフタをしてしまう。

第3の目にフタをしているから、
自分の感覚が信じられなくなる。

というようなことを、書きました。

もちろん思考モードだけではなく、
シンプルに目の使い過ぎでも眉間はこわばります。

特に「凝視」するように使うと、
眉間のこわばりは強くなる。

でも、現代で生きていく以上、
どうしても目は使いすぎの傾向になってしまいがちですよね。

僕もいま、パソコンを使っていますし。

目にエネルギーを使いすぎてしまうからこそ、
目にエネルギーを使わない時間をつくることも必要。

目にエネルギーを使わない時間とは、
眉間のこわばりがゆるむ時間のことであり、
思考が鎮まる時間のことでもあり、
第3の目が開く時間のことでもあります。


(↑やっくんにも第3の目が)

思考も使わないわけにはいきません。

思考を使うから、人間なわけで。

ただ、目と同じで「使いすぎる」と消耗します。

例えば筋肉は休まず使い続けると疲労が蓄積し、
本来のパフォーマンスが発揮できなくなってきます。

思考も同じです。

鎮める(休ませる)時間もつくらないと、
思考の質も落ちていく。

目も思考も使いすぎるほど使ってしまうからこそ、
休ませる・鎮める時間もつくりたい。

ところで、
眉間がこわばるのは、

・目を使っているとき
・思考を使っているとき

だけ、でしょうか。

「まぶしいとき」

眉間こわばります。

それ以外だと。

・生理的(感覚的)に不快なとき

・精神的に不愉快なとき

どちらもストレス状態ですけど、
そういう時にも眉間はこわばります。

しつこいですが、

眉間がこわばる=第3の目にフタをする

です。

「生理的(感覚的)に不快なとき」

・視覚
・聴覚
・触覚
・味覚
牛角 嗅覚

五感に不快な刺激が入ったとき。

第3の目は感覚を繊細に感じ取るセンサー。

繊細なセンサーがしっかり開いた状態で不快な刺激が入ってくると、
その分しっかりストレスを食らってしまうことになります。

なので、
不快を察知すると、
眉間をこわばらせ、
第3の目にフタをして、
なるべく不快を感じないように防御してくれます。

ありがたいですね。

ありがたいのですが。

不快モードが多い・強い・長いと、
その分、眉間のこわばりがクセになってしまう。

結果、
思考優位モードになり、
目が疲れやすくなる。

下垂体や松果体の機能低下につながり、
ホルモンバランスや睡眠に悪影響を及ぼす。

そして、
不快モード・思考優位モードが日常になると、
感覚のセンサーが鈍ってきます。

快・不快がわからなくなってくる。

あるいは、
快・不快の感覚にズレが生じてくる。

感覚のセンサーが鈍ってくると、
自分がなにを必要としているのか、
なにが不要なのか、
感じられなくなってくる。

それって究極には、

「自分がわからない。」

になってしまいます。

自分がわからないから、
なんとなく社会の常識に合わせて、
他人からの評価を気にしすぎて、
そんな生き方になるのかもしれません。

「眉間のこわばり」が壮大な話になってきました笑

でも、
感覚が鈍る・ブレるって、
そういうことなんです。

しらんけど。

まぁでも、
生きていると、
心身に不快な刺激が入ることもありますよね。

でも、
不快慣れしてしまうと、
感覚が鈍ってしまう。

なので、
快の刺激を積極的に取り入れて、
快の感覚をしっかり味わって、
眉間がゆるむ⇒第3の目が開く時間も、
つくってあげたいですね。