<休むことに罪悪感がある>
そうおっしゃる方、多いです。
東洋医学には「陰主陽従」という言葉があります。
文字通り、
「陰が主体で陽はそのおまけ」
というような意味です。
講座のときによく使う例えがあって。
ペンで紙になにかを書くときに、
「ペンを持つ手」と「紙をおさえる手」
があります。
ペンを持つ手、
「目立つ方」の役割が「陽」
紙をおさえる手、
「目立たない方」の役割が「陰」
です。
「字がキレイだね。」とか「絵が上手だね。」とか、
評価をされるのは「陽」の方です。
「しっかり紙をおさえていて偉いね」
と陰の側が評価されることはありません。
が、陰の手が紙をしっかりおさえていてくれるから、
陽の手は字が書けるのですよ。
逆に陰がしっかり機能していないと、
陽は充分にパフォーマンスを発揮できません。
陰主陽従。
「休息」と「活動」を、
陰陽におきかえると。
休息⇒陰
活動⇒陽
です。
「がんばったから休める」
というのは、陽主陰従です。
「休んだからがんばれる」
というのが、陰主陽従です。
まず休んで蓄えることが、
優先なのです。
自然法則では。
でも、
がんばること(陽)は評価されても、
やすむこと(陰)は評価されません。
評価されないから、
価値を感じられません。
だから、
休むことに価値を感じられず、
がんばれない自分に罪悪感をもってしまう。
何度も書きますが、
陰主陽従が自然法則なのです。
それに反している社会が、
ちょっと狂っているだけで。
その狂った社会の影響を受けてしまっているから、
休むことに罪悪感をもってしまう。
「社会的に評価されること」
って、そんなに重要でしょうか?
その評価をする社会が、
狂っていたとしても?
陰をたいせつにできない社会に合わせる必要なんて、
ありません。
自然法則に沿って、
まず陰をたいせつにして、
その上で陽を楽しみましょう。
陰は女性性。
陽は男性性。
女性性をたいせつにする生き方とは、
みえないところ・評価されないところをたいせつにする生き方のことです。
陽側で成果を出すことよりも、
まず陰側を立て直すことの方がずっとたいせつです。
しっかり休んでいる様子↓