こころとからだ

「濁」のない、味気ない人生。

昨日・今日そして明日の3日間、名古屋での出張施術。

名古屋での施術は毎回こちらのレンタルサロンにお世話になっています↓

今日は施術終了後に、ジムへ。

名古屋駅近くからジムのある栄まで約3㎞をシェアサイクルで。

筋トレ⇒ジョギング⇒サウナと、いい汗をかきました。

出張先でもジムに行ってトレーニングができるくらいのコンディションと時間のゆとりをつくっておきたいと思っています。

で、スッキリととのって、帰りもシェアサイクル。

名古屋随一の歓楽街、「錦(にしき)」をチャリで通過。

ちょっとキツく感じたんですよね、錦の空気感が。

早く通り過ぎてしまいたい、と感じてしまった。

名古屋出張にきはじめた10年以上前は、むしろその雰囲気が刺激的で、「視察」と称して積極的に出向いていたんです。

ですが、最近はあえて近寄ることはしなくなった。

今日は通り道だったから通りましたけど。

そういえば1か月前くらいの札幌出張でも、すすきのには近づかなかった。

福岡に行っても、中州に行くことはなくなった。

いずれも10年くらい前には「ひゃっはー!」と「視察」に行っていたのですが。

もう気が済んだのか。

大人になったのか。

落ち着いたのか。

エネルギーが変わって、受け付けなくなったのか。

さっきも書いたように、出張先でもコンディションを調えておくことを大切にしていて。

それはお客さんのためでもあるし自分のためでもあり、でも義務的ではなくてそうすることが心地いいからそうしているだけで。

歓楽街でひゃっはーするよりも、運動やサウナでいい汗をかいてすっきりしてゆっくり休む方が、心地いい。

それっていいことなのかもしれないですが、でもそっちばかりなのもどうなのかなと思う自分もいて。

「清濁併せ呑む」という言葉がありますが、出張先での過ごし方としてはこの10年でだいぶ「清」の方に重心が移ってきて。

でも「清」ばかりの人って、なんだか味気ないというか、人としての深みを感じにくい面があるんですよね。

清らかで正しいだけの人って、なんかつまんないし疲れないですか。

濁も楽しめないと、器が小さくなっていく気もするし。

清で生きることを良しとしている人って、濁を受け容れられない傾向がありますよね。

要は、キャパが小さい。

そういう人間になりたいわけではない。

ということで、若い頃のようにはもう戻れないし戻りたくもないですが、たまにはあえて濁を楽しもうとする日があってもいいのかなと、さっき錦をチャリで走ってて思いました。