僕の施術(手あて)は、
「瞑想」のような状態に導き・深めるお手伝いをする、
ということを、目的のひとつにしています。
僕も自分ひとりでの瞑想を長年続けていますが、
ひとりよりも「共同作業」の方が(うまくいくと)ずっと深く入りやすい。
昨日のお客さんはほぼ月1ペースで通っていただき昨日が6回目の施術だったのですが、
回数を重ねるごとにカラダの無意識の緊張・警戒が少しずつ外れてきて、
昨日はかなり深く入れました。
お客さんの意識が深くなるほど、僕も深くなる。
なので、めちゃ心地よかった。
逆に僕の意識が深くなるほどお客さんも深く入れるようになるので、
これからも日々の瞑想を継続し、
深めていきたいと思っています。
一方、ジムで筋トレもしています。
瞑想と筋トレって、対極のイメージじゃないですか。
対極からみる機会があるからこそ、
相互理解が深まる感じがあるのです。
共通しているのは、どちらも「自己肯定感」が高まる。
ただ、自己肯定感の「種類」が違う。
一般人が筋トレを実践・継続することによって得られる最大の効果は「自信」だと思います。
アスリートであれば、
競技パフォーマンスのUPに繋がらないと意味がないと思いますが。
なぜ、筋トレを実践・継続すると自信がつくのか。
①筋力・筋量のUP
特に男性は、それだけで自信が湧いてくる人も少なくないと思います。
動物のオスとしての本能。
テストステロンの活性化。
②ボディラインの変化
これは男女ともに、ですね。
ボディラインをつくっているのは、筋肉ですからね。
③達成感・成長の喜び
①・②と関連しますが、
「今まで持てなかった重さを持てるようになった!」とか、
「筋肉がついてきて、明らかに見た目が変わってきた!」など、
数値や見た目などで明らかな変化を実感できると、
達成感を得られると思います。
④ストレスを乗り越えてきた、という自負
筋トレは、やはりきついです。
筋肉に負荷をかけるので、きつくて当たり前です。
そして、継続をしないと効果が出ません。
勢いで短期間だけやるのは難しくないですが、
継続することは、きつい。
そんなきついことを、実践・継続する。
「やらなくてもいい言い訳」がいくらでも出てくる中、
その葛藤を乗り越えて、実践・継続してきた。
自分の弱さと向き合い克服してきた自負が
「わたしは大丈夫。やればできる。」
という気持ちを持たせてくれるようになるのかもしれません。
なにかを地道に継続することが自信に繋がることは、
筋トレ以外でも同じですね。
↑の①~④などによって「自信」が手に入るのが、
筋トレの効能。
筋トレは、
それを実践・継続してきたこと自体や、
それによって得られる目に見える変化(数値や見た目)によって、
自信が持てるようになるんですね。
できなかったことができた。
やらなかったことをやった。
続かなかったことが続いた。
それによって、
体型が変わった。
体力がついた。
自分自身の成長を実感することによって、
自分になかったものを「得る」ことによって、
自信がつく=自己肯定感がUPするのです。
一方、瞑想では。
すでに自分に備わっていたものの素晴らしさに「気づく」ことによって、
自己肯定感がUPします。
なにかを実行したとか、しなかったとか。
なにかを継続したとか、しなかったとか。
なにかを達成したとか、しなかったとか。
そういう条件によって左右されるものではない、
そのままの自分、存在自体を肯定できるようになってきます。
どちらが大切かって、どちらも大切。
が、どちらかといえば、
瞑想で得られる自己肯定感の方が大切だと感じています。
条件にとらわれず、
無条件に自分の存在自体を肯定する。
その感覚を根底に持つか持たないかで、
人生全般における安定感・安心感が大きく変わります。
が!
現実的にこの社会は、
比較・条件付けをされる社会です。
なので、筋トレに限らずですが、
なにかを実践・継続することで、
自分の成長を感じ、成功体験をし、自信をつける。
そういう条件付きの自信をつけることも、
現実的にこの社会を生きていく上では、
必要なことだとも思います。
ですが、
比較・条件付けの中「だけ」で自分の優劣を判断するような生き方は、
遅かれ早かれ根本的な部分でしんどくなってくる。
外側の条件だけで勝つことを目指す生き方をしていると、
仮に外側が社会的に評価されるようになっても、
内側がボロボロになっていく。
ということで、
僕は内側にある「無条件の自己信頼」の感覚を思い出す・取り戻すためのお手伝いをするために、
施術(手あて)をしています。
ちなみに日々の楽しみのひとつ。
ジムで筋トレをしたあとに、
ジムのサウナで瞑想をする。
「瞑想だけ」よりも、
深く入れるんです。
深い瞑想に入るための導入として、
筋トレをしているのかもしれません。