姿勢のチェックをしてみたら、
左肩より右肩が高くなっていた、
として。
以前は、
「左右の肩の高さが揃うようなアプローチをしよう」
としていました。
いまは、
「なんで右肩を高くする必要があったんだろう?」
と考えます。
考えてもわからないので、カラダに訊きます。
カラダにはカラダの事情が、あるのです。
そうしなきゃいけなかった事情が。
その事情を訊くこともせず、
「左右のアンバランスは悪いので、左右差を整えます」
という関わり方は、
カラダに対して失礼だなぁと。
感じるようになりました。
そもそも構造的なアンバランスは、
ほんとうに悪いことばかりなのでしょうか。
教科書通りの筋骨格バランスでいることが、
すべての人にとっての正解なのでしょうか。
アンバランスの中で、
その人の個性や才能が発揮されている。
かもしれない。
あえてアンバランスをつくることで、
置かれた環境に適応しようとしている。
かもしれない。
「枠にはまりたくなくて、
自営業で1人整体師をやっています」
という人が、
お客さんのカラダを自分がつくった枠にはめようとするってのは、
おかしい気がするんです。
枠にはまることで快適に過ごせる人もいれば、
枠にはまらない方が快適な人もいます。
その人の生き方の正解を僕が決められないように、
その人のカラダにとっての正解も僕が決められるものじゃないから。
カラダには、生き方がでます。
カラダはどう生きるのが快適なのかを、知っています。
僕はただそれをニュートラルな立場で通訳をして、
それに近づくためのお手伝いをするだけ。
カラダにどうすれば調うのかをきいて、
その通りにサポートをして、
その結果見た目の姿勢がアンバランスだったとしても、
それはそれでいいと思っています。
一般的な正解ではなく、
その人にとっての快適さに近づくためのサポート。
そういうことがしたいです。