こころとからだ

「温泉・サウナ=疲れがとれる」とは、限らない。

昨日の投稿で書いたように、一昨日は日帰りで岡山へ行きました。

ジムに行って、ラーメンを食べて、空港近くの日帰り温泉へ。

今回はその温泉での話。

(画像はその温泉施設<桃太郎温泉 一湯館>のウェブサイトから拝借しました。)

天然温泉で、露天風呂があって、サウナもあって、水風呂もある。

しかも水風呂も源泉。

温泉・サウナ好きとしては、完璧なラインナップ。

からだを洗い、まず露天風呂へ。

ふぅ~~~~~~

自然に深く息を吐けます。

で、僕は温泉やサウナに入っているときでも、カラダと会話をします。

意識的にそうしているというよりは、もう完全に習慣になっている。

「もっと入る?あとどれくらい?」

みたいなことを、カラダに訊きながら。

「露天風呂はこれでOK。次は水風呂。」

そういう指令がきます。

源泉の水風呂、最高。

「水風呂の次は?また露天風呂?内湯?サウナ?」

「内湯。」

「内湯にも熱湯とぬる湯があるけど、どっち?」

「ぬる湯。」

ぬる湯は「不感温浴」と呼ばれる体温(35~37℃前後)と同じくらいの、熱くも冷たくも感じない温度帯。

いつまでも入っていられる感じ。

ただ、5分くらい入って、ちょっと飽きてきた笑

「ちょっと飽きてきたんだけど、サウナどう?」

「まだ。」

さらに5分くらい経過。

「10分入ったよ。ぬる湯はもういいでしょ。サウナ入っていい?その前に水風呂はさむ?」

「いや、まだぬる湯で。」

「マジ?サウナ入る時間なくなるよ?」

「今日は、サウナは入らなくていい。」

「え?せっかくだからサウナも入りたいんだけど。」

「疲れをとりたくて、ここにきたんだよね?」

「うん。」

「明日に疲れを残したくないんだよね?」

「うん。」

「じゃあ今日はサウナ無しで。ぬる湯だけでいい。」

「えーマジかー。サウナも入りたいなー。」

「入りたいなら入れば?疲れはとれないと思うけど、それでいいなら。」

「わかったよ。。。」

・・・てな感じでアタマとカラダの会話がおこなわれ、結局さらに10分、計20分ぬる湯に入り。

「オッケー。もう充分。最後に水風呂で〆。」

と、サウナに後ろ髪を引かれながら(髪ないけど)、終了。

(入れなかったサウナ。。。↓)

僕(アタマ)としてはほんとうにサウナにも入りたかったのですが(しつこい)、着替えて外に出ると、カラダがめっちゃスッキリしている。

そりゃそうですよね、カラダの指示に従ったから。

アタマの欲でサウナにも入っていたら、疲れてダルくなっていただろうなぁと思います。

「ぬる湯20分」というのは、五行的には<水>の養生になる。

朝から移動時間が長くて=座ってじっとしている時間が長くて、それって<水気>を使うんですよね。

そしてこのあとも飛行機⇒電車の移動が残っている。

それを見越して、カラダは<水気>を補うために「ぬる湯20分」という指令を出してくれたのだと思います。

サウナも「温める」という意味では水気を補うという解釈もできなくはないですが、それ以上に「発散=火」の要素が強い。

「ぱぁ~っと発散!スッキリ!」のような感覚がほしいときは、サウナは有効。

特に高温サウナは<火>の要素がめちゃ強いように感じます。

その日の僕(のカラダ)は、「ぱぁ~っと発散(火)」は不要で「じんわり充電(水)」だけの方がよかったみたいです。

理屈としてアタマでもわかっている。

わかっているのですが、それでもサウナも入りたかった笑

が、翌日からの仕事に備えて、疲れを残さないようにカラダの望む通りにしました。

こんな感じで、わたしたちは<アタマの「やりたい」><カラダの「こうしてほしい」>にギャップが生じてしまうことがあります。

そんなときに<アタマの「やりたい」>ばかりに流されていると、そりゃ<カラダ>の調子も崩れやすくなります。

なので、たまには<カラダの「こうしてほしい」>も、叶えてあげましょう。

カラダの声がきこえなくなってしまっている方も、いるかもしれません。

でも、大丈夫です。

そこであきらめずに意識を向け続けていれば、必ずきこえるようになります。

長年<アタマの「やりたい」>を優先し続けてきたのだとしたら、カラダの声は感じづらくなります。

でも「少しずつカラダの声もきいていこう」意識がそうシフトした瞬間から、カラダからのメッセージを感じとれるようになっていきます。

いま、あなたのカラダはどんな希望を伝えていますか?