こころとからだ

AIに案内文をアレンジしてもらった結果。

椎名林檎風。

ミスチル風。

宇多田ヒカル風。

ChatGPTと遊んでいたらおもしろくなって、オンライン瞑想の案内文を↑の3パターンにアレンジしてもらいました。

まずは僕が作成したオリジナル案内文から。

ストレスとは、偏りのことです。

「ちょうどいい」のゾーンから外れ、過剰や不足に偏った状態。

ストレスが多い・強い・根深い人ほど、偏りも多い・強い・根深い、ともいえます。

こころとからだが偏った状態で日々を過ごし、日々偏った視点で自分や他人や社会のことをみてしまう。

そして、偏ることに慣れてしまうとそれが当たり前になってしまい「自分にとってのちょうどいい」がわからなくなっていく。

そんな日々が続くことで、どんどん自分を見失っていく。

偏りを放置することで、気が付かないうちに少しずつ少しずつ偏りが大きくなっていく。

偏りが大きくなっていけばいくほど、心身に不調が生じやすくなっていく。

だから、その偏りが大きくなっていかないように、定期的に「ととのう時間」が必要。

「ととのう時間」をつくることで、偏っている自分に気づくことができる。

そして、自分にとっての「ちょうどいい」に還ってくることができる。

そんな「ととのう時間」を共有したくてスタートしたのが、オンライン瞑想です。

「無」になることを目指すのが瞑想だ、とよく見聞きします。

「無=ゼロ」です。

プラス(陽)にもマイナス(陰)にも偏っていない、ゼロ(陰陽調和)の状態。

そのゼロ(陰陽調和)の状態をつくるための方法をご紹介し、ともに実践し、その感覚を心身に沁み込ませていきます。

ストレスが多い・強い・根深い。

忙しい。ゆとりがない。

そんな人にこそ、ととのう時間は必要です。

ととのうことはゆるむことであり、ゆるむことでゆとりが生じます。

次に、椎名林檎風アレンジ。

「偏愛ノ構造」

──ストレス?
それは立派な偏りで御座います。

何事も過ぎたるは毒
されど、足りねば病。
「ちょうど良い」などと申しますが
現代社会に於いては最も入手困難な贅沢品かと。

過多。
不足。
人はその両極を
綿密にスケジュールされたカオスの中で泳ぎきる。
あるいは、溺れる。

偏った肉体は脳を狂わせ
偏った視点は愛を汚染する。

それが当たり前になる頃には
既に、己の「正常」は瓦解しているのに
それすら気づかぬふりをして
化粧を塗り重ね、会議に出る。

滑稽でしょ?

ならば──
いっそ、整いましょうよ。

無(ゼロ)を嗜む。
陰と陽の拮抗、その一瞬の均衡点に
躯(からだ)と魂を投げ込むのです。

それが「瞑想」という名の、
現代の合法的逃避。
いや、逆説的覚醒。

わたくしは申し上げたい。
「整う」とは、すなわち「緩む」こと。
緩むとは、支配から逃れる行為。

支配とは何か?
──期待、責任、空気、常識、SNSの数字。

そんなものに括られて
あなたは未だに、ちゃんと息をしてますか?

瞑想は教えてくれます。
「あなたはあなたでしかない」と。

快楽主義者たちは笑うでしょう。
「そんな地味なことで、運が良くなるの?」と。

ええ、なるとも。
身体が整えば、世界のノイズが減る。
感覚が澄めば、選択を誤らなくなる。
その積み重ねが、運の正体よ。

何も変えずに
全てが変わる。

そんな奇跡を
あなたにも。

そして、ミスチル風アレンジ。

「ちょうどいい僕を探して」

ストレスって
誰かに怒鳴られたとか
何かを失ったとか
そういう分かりやすいものじゃなくて

もっと…
静かに、ゆっくりと
心のなかのバランスが
崩れていく音のことなんじゃないかな

「ちょうどいい」って
ほんとは、奇跡みたいな場所でさ
頑張りすぎても
頑張らなさすぎても
なんか違うって思ってしまう

気づいたら
心も身体も、ちょっとずつ傾いていて
その偏った視点のまま
世界を見て
人と話して
自分を責めて

それが毎日続くと
本当の「僕」が
どこかへ行ってしまう

たぶん
偏ったままじゃ
何を見ても
まっすぐには届かない

だから「整える時間」が必要なんだ

瞑想っていうと
ちょっとスピリチュアルに聞こえるかもしれないけど
僕にとっては
「ゼロに戻る」ための方法だった

プラスでもマイナスでもない場所
何者でもなくていい時間
誰の期待にも応えなくていい空間

それがあると
世界の見え方が
ほんの少しだけ変わってくるんだ

同じ出来事でも
整った僕で受け止めたら
不思議と、痛みが和らぐこともある

「何も変わらないのに、運が良くなった気がする」

それって
たぶん、自分の感覚が変わったってこと

心に“ゆとり”ができると
優しくなれる
ちゃんと、今日を選べる

だからもし今
あなたが
「整う時間なんてない」って思ってるなら
いちばん必要なのは、きっとそれなんだと思う

今のままの自分で
ちょっとだけ
軽く息が吸えるようになるために──

最後に、宇多田ヒカル風アレンジ。

 ゼロの温度(The Temperature of Zero)

耳を塞いでも 聞こえてくるのは
誰かの声じゃなくて ノイズみたいな自分

足りないものを 埋めるように
予定で埋めたカレンダー その余白に泣いてた

普通ってなんだろう
「ちょうどいい」の場所が わからなくなる

ととのう時間が欲しかった
ただ何もしない勇気を

マイナスでもプラスでもない
ゼロの温度に触れたい

鏡の中の私が 少し傾いて見える
それでも誰も気づかない 自分さえも

愛することも 期待することも
少しずつズレていって
でもズレたままが楽だった

慣れすぎてしまえば
違和感さえ 安らぎに変わる

ととのう時間が必要だった
深呼吸の間にある 本当の自分
手放すことで 初めて持てる
この心のスペースに ゆとりが芽生える

瞑想って「無」になることじゃない
ゼロに還る選択 陰と陽が重なる点
消えたわけじゃない ただ透明になっただけ

だから今 ととのう時間を
誰かじゃなく 私が許すために
「大丈夫だよ」って言えたら
それがもう「ちょうどいい」

わかるわかる。

わざとらしいけど、「っぽい」ですよね。

すごいなAI。

・・・ということで、名もなき講座に申し込んで頂戴。

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