前回の記事でセックスにおいては「興奮・快楽」のまえに、まず「癒し・安心」の方がたいせつだと書きました。
僕なりの陰陽論の解釈だとそうなります。
「癒し・安心」が陰で、「興奮・快楽」が陽。
で、陰主陽従です。
なぜ「癒し・安心」が陰で、「興奮・快楽」が陽なのか。
自分なりの論理で言語化して説明できるのですが、長くなるので省きます。
陰主陽従についてもあらゆる講座でいつも話しているので、ここでは省きます。
そういう理由で、「興奮・快楽」のまえに、まず「癒し・安心」から。
それが自然法則だと感じています。
「いやわたしは興奮・快楽だけで満足してるよ?」
という方もいるかもしれません。
本人がそれで満足なら、それでいい。
自然法則に沿うことがすべての人の幸せとは限りませんから。
ただ、「癒し・安心」を蔑ろにした「興奮・快楽」のためだけのセックスのせいで、セックスに苦手意識や嫌悪感を抱き、心身に深い傷を負ってしまっている方が少なからず存在していることも、僕の経験上では真実です。
僕の性に関する発信は、そういう方に向けています。
「セックス大好きでもっと快楽を追求したい!」
という方に向けては発信していません。
ということで、まず「癒し・安心」をしっかり感じきるところから。
ところで「安心感」とは、なんでしょう?
「感」という字がつくように、感覚です。
安心感というのは、身体感覚として表現されます。
人が安心を感じるとき、どういう身体感覚になっているのか?
どういう関わり方をすると、人は安心を感じられるのか?
特にこの10年くらいは、そういうことを探究し続けています。
今のところの自分なりの答えは明確に存在していて、すべて言語化もできるし、体感覚として表現することもできます。
自分自身の経験と感性から掘り下げていってたどり着いた答えなので、すべて自分の言葉で表現することができます。
安心しているとき=ゆだねることができているとき、です。
ゆだねることができているとき=警戒していないとき、です。
警戒していない=防御(バリア)がない状態。
防御(バリア)がないということは、境界がないということ。
境界がないということは、繋がることができるということ。
つまり、「繋がること=安心感」なのです。
セックスの目的は、繋がることです。
ということは、安心感のない・ゆだねきることのできないセックスは、セックス本来の目的から外れていることになります。
逆に、繋がることができるのなら、手段はセックスである必要はありません。
ただ、生殖器という超繊細な部位に触れられるのをゆだねることができたら、それだけ深い安心・繫がりを感じられます。
反面、超繊細な部位だからこそ快楽目的で雑に扱われると警戒・バリアが強くなりやすい、とも言えます。
セックスはハイリスク・ハイリターン、なのです。
これは1人で生殖器に触れるときも、同じです。
リスクが大きいから性的行為はしない、という選択も、もちろんありです。
が、カラダに警戒させないように丁寧に触れることさえできれば、性的行為は「究極の深い癒し」になります。
そして、「深い癒し=深く繋がること」です。
パートナーとの繋がり、そして自分自身との繋がり。
はしたないもの・下品なもの、ではありません。
そう思いこまされてきただけで。
自分自身を深く癒し、自分自身と深く繋がるための、神聖なものです。
とてもたいせつなのですが、当然施術ではそこまで介入することはできません。
だから自分自身で、あるいはパートナーシップにおいて、そこを癒し・満たしていくことの必要性・重要性を言葉でお伝えし、そしてそのための具体的な方法を身体感覚を通してお伝えしたいと、そのために性の講座を開催しています。
性に関して苦手意識・嫌悪感を抱えたままで人生を過ごしていくのは、とてももったいないです。
究極のヒーリング=自分自身と深く繋がる機会を手放すことになってしまうので。
自分自身と深く繋がるための時間↓
◆2025/6/15(日)第38回大阪こころとからだ塾「性のはなし@大阪」
※受付中

