こころとからだ

まずたいせつなこと。

4月下旬に「性のはなし@オンライン」を開催しました。

対面では5回ほど同テーマで開催したのですが、オンライン開催は初めて。

対面講座に比べてどうしてもワークに割く時間が減るので、逆にその分だけ語りが長くなりました。

対面でもそうだったのですが、今回のオンラインでも、この「性のはなし」のあとは、ものすごくディープなご感想をいただきます。

他の講座とは比較になりません。

それぞれがディープすぎて個別の事例をシェアすることはできないのですが、多くのご感想に共通して入っていた内容があります。

今回のオンラインに限らず、これまでの対面講座のあとにも同じ内容のご感想がいくつもありました。

それは、

「毎回『早く終わってほしい』と思いながらセックスをしている」

というような内容。

なぜそうなってしまうのか。

それは「セックスにおいてまずたいせつにしたいこと」をすっ飛ばしているから、かもしれません。

そもそも「セックスにおいてたいせつなこと」って、なんでしょうか?

愛情?相性?テクニック?

愛情があればセックスで満たされるのでしょうか?

「夫への愛情はあるけど、セックスはできればしたくなくて、我慢しながら受け入れている。」

というご感想もありました。

愛情があるから、関係性を壊したくないから、我慢をする。

「愛情があれば満たされる」

とは限らないようです。

じゃあやっぱり相性やテクニックなのか。

それはそうともいえるところもあるし、そうともいえないところもあります。

そもそもなにを目的にセックスをするのか?

というところがポイントで。

「興奮・快楽を求める(得る)」

というのが目的なのであれば「相性・テクニックがたいせつ」でいいと思います。

ただ、僕なりの陰陽論の解釈からみると、「興奮・快楽」というのは「おまけ」で。

まずたいせつにしたいのは「癒し・安心」というところ。

まず「癒し・安心」をしっかり感じられて、そこが充分に満たされた上で、「おまけ」として「興奮・快楽」があればもっといいかもね、っていう。

「癒し・安心」をすっ飛ばして、いきなり「興奮・快楽」を求める。

それでは、真に満たされる感覚にはなりづらい。

満たされるどころか、逆に虚しく感じたり。

そういう体験が繰り返されると、セックスに対してどんどんネガティブな印象が積み重なっていき、

「虚しい・疲れる・痛い」などのストレスが強くなり「早く終わってほしい」になっていく。

本来であれば「癒し・安心」をもっとも深く感じられるのが、セックスのはずなのです。

で、普段はまったく「癒し・安心」を感じられないのに、セックスのときだけそれを感じよう、というのも難しい話で。

パートナーと一緒にいるとき、安心を感じられていますか?

パートナーに触れられたとき、癒しを感じられますか?

セックスどうこうの前に、まずそこからな気がします。

で、その「癒し・安心」というのは、パートナーがいて成立するもの、ではありません。

もちろん自分で自分を癒すことも可能です。

性に対してネガティブなイメージを持ってしまっている方、とても多いです。

<怒り・悲しみ・嫌悪感・不快感・寂しさ・痛い・苦しい・・・>

それは「癒し・安心」をすっ飛ばして、いきなり「興奮・快楽」だけを求める・求められる行為をしてきた・されてきたから、かもしれません。

でも、そうではない。

そんなこと、僕も知りませんでした。

でも施術を通して多くの方が心身に抱えている「性」に対する深い傷を感じ、「なぜその傷ができてしまったのか?その傷はどうすれば癒えていくのか?」を自分なりに掘り下げていくなかで、そして自分なりに陰陽論を深めていく中で、少しずつ気づいてきました。

その気づきをシェアさせていただいたのが「性のはなし」でした。

これまでに対面やオンラインでご参加くださった皆さん、ありがとうございました。

今後は6月に大阪で対面講座として開催予定で、それ以降の開催予定はいまのところありません。

「性」を通じた「深い癒し」に関心のある方、6月に大阪でお待ちしております。