こころとからだ

25年ぶり?!

高校卒業後、大学進学のため沖縄から茨城県へ移住。

最初の2年間はビデオ屋さんでバイト。

次の2年間は焼肉屋さんでバイト。

4年間いたのにほとんど単位をとっていない状態でその次の2年は休学して東京で過ごし。

その後に復学したもののすでに心身ともに修復不可能なほどに壊れていて、半年後に中退。

という黒歴史のように見える、高校卒業後の6年半。

ですが、過ぎてみてわかったことですが、今の礎になっている貴重な期間になっていました。

ちゃんと大学へ通ってちゃんと単位をとって、心身を壊さない程度に学生生活を満喫しながら、卒業ができていたら。。。

今とはまったく違う人生があったのだと思います。

でも、今の自分、今の生き方に充分満足しているので、全部これでよかったと思えています。

そういう生き方にシフトできた自分を、少し褒めてあげたい。

・・・前置きはこれくらいにして、本題です。

大学3年目~4年目くらいの時期にバイトでかなりかなりお世話になった、焼肉屋さん。

ご夫婦で経営されていた、イサオさんとユミコさん。

そしてバイトの先輩、マコトさん。

ここには書ききれないほどのたくさんの想い出があります。

僕は人と深く関わるような仕事をしておきながら、一方プライベートでは人付き合いがあまり得意な方ではありません。

なんか、面倒になっちゃうんですよね。

気を遣いすぎて。

だったら1人の方が楽、みたいな。

そんな僕でも疲れずに一緒にいられる貴重な人が妻です。

で、そんな僕でも一生疎遠になりたくないと思う、そんな特別な人たちが、イサオさんたち。

僕が関東から撤退したあとも、イサオさんやマコトさんが沖縄に来られたときや、僕の関東出張のタイミングだったり。

数年おきくらいのペースではありますが、たびたびお会いする機会をいただいて。

でも!

今回東京に移住してきてから、連絡をしていなかった。

「そのうち連絡しよう」と思い続けて、もう2年半。

「あしたやろうは、バカやろう!」という言葉を見聞きしたことがありますが、「そのうちやろうも、バカやろう!」です。

と、そんなとき、

「大学に入って最初の2年でバイトをしていたビデオ屋の店長が、飲食店を経営しているらしい」

という情報を入手。

これは!

イサオさんたちを誘う、いい口実になるぞと。(別に口実がなくても会いたいだけで誘えばいいんですけど)

で、連絡。

「イサオさん、土浦に行ってみたい居酒屋があるんですけど、付き合ってもらえませんか?」

その日が、先週の土曜日でした。

学生時代に住んでいたつくば市の隣にあるのが、土浦市。

特に土浦駅周辺は、めちゃ久しぶり。

呑み会の前に、土浦の星・高安関(の等身大パネル)と記念撮影。

188m175kgですって。

でかすぎる。

確実に一突きで吹っ飛ばされますね。

で、土浦駅からすぐの場所にある、元ビデオ屋店長さんのお店へ。

当時は「”もん”さん」というニックネームで呼んでいたのですが、それがそのまま店名になっていた。

なんかうれしい。

そして、イサオさん・ユミコさん、マコトさんも合流。

お会いするのは5-6年ぶり。

大学は中退してしまったけど、この人たちに出会えただけで、大学に行った価値があった。

心からそう思えるほど、当時も今も、一緒にいてほんとうに楽しい人たち。

イサオさん・マコトさん・ワシ↓

ところで、この店の店主「もんさん」は、僕のことを覚えているのか?

忙しさが少し落ち着いた時間帯に、ご挨拶。

「もんさん、僕のこと覚えてます?25年前くらいに、つくばの」

「あ!テルキナ?!」

かぶせ気味で!

覚えてくれてた!

うれしいなぁ。

もんさんとワシ↓

もんさんの店でイサオさんたちと呑むなんて、ちょっと奇跡みたいな。

あの頃にこの人たちから教わったいろいろが、その後に業種は違えど事業主になった今に、すごく活かされています。

ほんとうにありがたいご縁です。

もんさんの店をあとにして、2次会へ。

当時よく連れて行ってもらっていたBarへ。

25年ぶり?!

マスターが長く店を続けてくれているおかげで、またまた懐かしい想い出が蘇りました。

久しぶりに職人の技を見せてもらいました。

当時はパワフルで勢いがありましたが、いまは「匠の技」に変化されていて、沁みました。

さらにその後、3次会まで。

18:30から呑みはじめて、ホテルの部屋に戻ったのは5時くらい。

そんなに呑んだの、何年ぶりだろう?

まだそんな体力が残っていたのか。

いや、すごく楽しかったからだと思います。

ほとんど笑いっぱなしだったな。

人ってほんとに楽しいと何時間でも笑い続けられるんですね。

大学生の頃、人生の路頭に迷ったような感覚にもなっていましたが、当時の自分に言ってあげたいです。

「全部笑い話になるから、大丈夫。そして、その人たちとは一生の付き合いになるから、大切にしなさい。」

って。