昨年の9/24。
札幌で講座を開催する予定でした。
でもその少し前から、
気のせいではすまないような強い胸騒ぎがあり。
お申し込みをいただいていた皆さんには大変申し訳なかったのですが、
講座は中止にして、急遽沖縄へ帰ることに。
急な予定変更(中止)にも関わらずご快諾いただいた皆さんには、
ほんとうに感謝しています。
それで9/22の夜に沖縄へ帰りました。
その翌日、
23日の夜から母の容体が急変し、
翌24日の朝に息を引き取りました。
その間、ずっと側にいることができて。
東京に住んでいるのに、
沖縄にいる母の最期に立ち会うことができた。
胸騒ぎとスケジュール変更にご快諾いただいたお客さんたちに、
ありがとう。
母は15年ほど前に緊急入院したことがあって、
それをきっかけに少しずつ弱っていきました。
3年ほど前、
「東京に引っ越してみようかなぁ」
と検討していた頃。
大きな気がかりは、母の体調でした。
離れた場所に暮らして、もし母になにかあったときに、後悔しないのか?
それが引っかかって決断ができずにいた頃。
ちょうど母の通院に付き添い、一緒に診察を待っていたとき。
母がこう言ったんです。
「お母さんのことは心配しなくていいよ。あんたがやりたいことをやるのが1番の親孝行なんだから。」
え?
なにも話してないのに。
東京のことなんてまだ話してないし、匂わせてもいない頃でした。
なにかを感じたんでしょうね。
母親ってすごいなと感じた瞬間でした。
その後しばらく経って東京に引っ越すことを決めて、それを伝えたときも。
母は引きとめるどころか、快く送り出してくれました。
母だけではなく、父も、姉も。
妻も「あなたが決めたことなら」と受け容れてくれたし、
なんなら今は僕よりも東京を満喫しています。
僕が好き勝手に生きられているのは、家族の理解とサポートがあるから。
ほんとうに恵まれていて、ありがたいです。
・・・話がそれましたが、先日の9/24は母の一周忌でした。
ちなみに沖縄は一周忌のことを一年忌(イヌイ)と呼ぶみたいです。
もう1年。
あっという間でした。
で、いろんな講座で話しているのですが。
母を亡くしたときに、「やっててよかった」と心底思ったことがあるんです。
それが「瞑想」
瞑想を習慣にして15年ほどになります。
いろいろな方法で実践してきました。
試行錯誤しながら今のところ行きついたのが、「陰陽調和」の感覚。
瞑想の目的が「陰陽調和=調う」感覚をつくり深めることになりました。
母が息を引き取ったとき、とても寂しくなったんですね。
言葉で表現すると、悲しいというよりは、寂しい。
覚悟はしていたとはいえ、いざその瞬間を迎えると、やっぱりものすごく感情が動く。
ものすごく寂しい。
その「ものすごく寂しい」という感情、陰陽で表現すると「ものすごく陰」だと思うんですね。
で、それだけだと、「ものすごく陰」に偏った状態です。
が!
瞑想によって「陰陽調和」の感覚を日々カラダに沁み込ませ続けていたおかげで。
「ものすごく陰」の対極にある「ものすごく陽」も同時に感じることができたのです。
具体的には、愛とか感謝とか尊敬とか。
それまでに感じたことのないレベルの寂しさを感じた分だけ、
それまでに感じたことのないレベルで愛や感謝も感じられた。
生前には感じられなかった深みで。
死って「究極の陰」だと思うのですが、
陰陽法則的には「究極の陽」も伴っているはずなのです。
そこに気づけるかどうか、は、
「陰陽調和」の感覚がどれだけ体感として腑に落ちているか、
によるのかもしれません。
死って悲しいし寂しいですが、
その対極に気づく機会でもあるのかもしれません。
↓の画像は、母が亡くなる半年前くらいに姉が撮ってくれたものです。
今でもこの画像を観ると切なくて「キューッ」っとなりますが(陰)、
それと同時にすごくあたたかいもの(陽)も感じます。
母が残してくれたこのあたたかい感覚を、ずっとたいせつにしていきます。
セラピーにおいてどんな知識や技術よりも、1番たいせつな感覚。
お母さん、ありがとう。