4月から月1×6回で開催中の、<触れるの探究6カ月コース>
先日の日曜日が、5回目の開催でした。
手あて(触れる)が施術の中心軸になってから10年近く経ちます。
東京へ移転後はついに店の名前にも「手あて」を入れました。
「手あて」を施すことは、<目的>ではありません。
「手あて」は、あくまでも<手段>です。
施術において大切にしたいことを突き詰めていった結果、「手あて」に行きついた。
施術も「人間関係」なので、「施術において大切にしたいこと」とは「人間関係において大切にしたいこと」と、イコールです。
「手あて」や「触れる」って誰にでもできる超シンプルな行為なのに、
なぜ「手あて」なのか?
「手あて」を通じて、なにがしたいのか?なにが起こるのか?
というところを、僕はいくらでも語れる。語りたい。語らせてほしい笑。
6回コースも5回を終え、残すはあと1回。
寂しい。
願いが叶うなら、そのまま同じメンバーであと半年続けたい笑。
まぁそうも言ってられないので、なるべく「伝え残し」がないように、来月の最終回を終えたいと思います。
ニーズがあれば年明けくらいから2期も開催できたらいいな。
で、その6回コース開催を強力に後押ししてくれた、サチコさん。
5回目終了後、SNSに↓のような投稿をしてくれていました。
触れるの探求 講座5回目
東京へ🚄
今日、講座中に、
陰の瞑想🧘♀️をしていたらね、
上も下も、
右も左も、
前も後ろも、
全ての感覚、概念が無くなって、
無重力というか、
自分がまぁるい球体の存在に感じたの。
不思議な感覚だったなぁ。。
すごく落ち着いた世界で、
深くて、
すごくよかったぁぁ。
感想が稚拙すぎるけど、
全てが静まってね、
本当にすごい良かったのよ!
感情さえも、あんまり無い、
不思議な感覚だったな。
お客様にセラピーする時って、
セラピストの思考、価値観、意識が、
良くも悪くもお客様に伝わるのよね。
無意識下で、伝わる。
それって、
良い事ばかりじゃ無いじゃない?
私がこれまでに得た知識や経験も、
全体から見たら偏りがあるに決まってるし、
だから、施術する時は、
叡智の力を借りるのが良いって思ってて、
借りる為にも、
瞑想を深めたいの。
お客様自身が元々持つ力を発揮できるように、
奥底に秘めたものが躊躇なくを出せるように、
私はニュートラルな状態でいたい。
そんな風に感じる講座でした😃
その講座も、あと残り1回!
いよいよ、
もっと深い世界に入っていきます。
宜しくお願いします!
この講座で伝えたいのは、知識ではなく体感なんですね。
伝えたいことを言葉だけですべて伝えきることは、ほぼ不可能。
もちろん伝える手段として言葉も使うのですが、ほんとうに伝えたいのは言葉ではない。
言葉に乗せている「感覚」や「感性」や「こだわり」や「想い」や・・・そういうものが伝わったらいいなと。
それを体感してもらえたらいいなと。
そう思って講座をしているのですが、サチコさんの↑の文章を読んだときに、「あぁ、ちゃんと伝わってる」ってうれしくなったのです。
言葉じゃないんですよ。
サチコさんも言葉で表現されていますが、僕はその言葉の内容というよりも言葉に乗っかっている「みえないもの」が感じとれて、その「みえないもの」が僕の感性と共鳴してくれているように感じて、うれしくなったのです。
伝えたことを、「ちゃんと」感じ取ってくれたんだなって。
なんとなく、わかるじゃないですか。
逆に、言葉としては立派だけど、なんとなく「伝わっていないんだろうな」っていうのも、なんとなくわかりますよね。
日常のいろんな場面で、感じません?
まったく伝わってこない「ありがとう」とか「ごめんなさい」って、ありますよね笑
もちろん言葉自体も大事なことは間違いないですが、言葉以上に大切なのはその言葉に乗った「みえないもの」のような気がします。
「みえないもの」で繋がることができたとき、言葉はちゃんと伝わっている。
逆に、言葉がちゃんと伝わったとき、繋がることができている。
言葉もそうだし、手あて(触れる)もそう。
手あてという行為自体よりも、手あてに乗せている「みえないもの」の方がずっと大切。
手をあてるだけなら、誰でもできますからね。
じゃあ手あての「質」って、どこで変わるのかって。
「みえないもの」でしか、変わらない。
その「みえないもの」で通じ合ったときに、ほんとうの意味で「繋がった」感じがするんですよね。
繋がることは、ゆるむこと。
ゆるむことは、調うこと。
ゆるんで調うことで、その人の魅力がより発揮されてくる。
だから僕はこれからも手あてを続けたいし、伝えていきたいです。