お盆休みが終わり、今日から通常モードという方も。
お子さんの夏休みがまだ続いている方も。
暑い中おつかれさまです。
お客さんからのLINE。
昨晩、数時間の間に1番身につけてるカチューシャと眼鏡が壊れてしまって😱
物が立て続けに壊れると何かしらの前兆ってよく言われてるので怖くてですね😭
「モノが立て続けに壊れるのは何かしら(不吉なこと)の前兆」
スピリチュアル的な情報に触れることが多い方は、そういった内容の言葉を見聞きしたことがあるかもしれません。
ほかにも、
前世・来世がどうとか。
死語の世界がどうとか。
子は親を選んで生まれてきたとか。
病気や障がいも自分で選んだとか。
相手は自分の鏡とか。
挙げればキリがないですが、いろいろありますよね。
そういった類の情報。
そういう情報は、それが絶対的事実というわけではなく「そういう捉え方もできる」という「仮説」というか「選択肢のひとつ」でしかないと思っています。
その捉え方をすることで気持ちが楽になるなら採用すればいいし、つらくなるなら不採用にすればいい。
気持ちを楽にしたくてそういう情報に触れているはずなのに、それによってストレスが増すのは本末転倒です。
「すべてのことには意味がある」
などとも言われますが。
「起こる出来事に絶対的正解のような意味がある」
のではなく、
「起こる出来事にどんな意味づけをするのかは自由」
という方が、僕の感覚とは近いです。
「カチューシャと眼鏡が立て続けに壊れた」
という出来事について、どんな意味づけをするのかも、自由。
「何か不吉なことが起こる予兆かもしれない」
と不安になるような意味づけをするのも自由だし、
「寿命を全うしたんだな。今までありがとう。」
と感謝のきっかけにするのも自由です。
人は良くも悪くも自らの思い込みの中で生きています。
起こる出来事に対する意味づけも、その思い込みから、なされます。
ということは、逆にいうと、意味づけの中身が変われば、思い込みも変わってくるということなのかもしれません。
思い込みって、すごいんですよ。
メンタルの状態だけではなく、体調にも大きな影響を及ぼします。
偏った思い込みによってメンタルや体調が不安定になってしまう、ということも起こります。
逆に、偏った思い込みに気づくことによって心身が楽になる、ということも起こります。
ただ、思い込みってなかなか自分では気づけないことが多い。
とある出来事に対して自動的・反射的に起こる解釈が、思い込みです。
自動的・反射的に起こるので、そこに疑問を持つことはなく、当たり前のこととして流れていきます。
が、意識的に自己観察をしていると、気づけるようになってきます。
SNS等から日々膨大な情報が流れて込んでくる、この時代。
あらゆる情報を絶対的事実として真に受けるのではなく、あくまでも選択肢・可能性のひとつとして捉えるようにする。
自信満々に断言口調で発信されている言葉も、多面的に捉えるようにしてみる。
そうすることで、視野が拡がり、選択肢も増える。
その過程で、自分の中にある偏った思い込みにも気づくタイミングがあるかもしれません。
もっと自由でいい、と思います。