前回の記事しんどい経験を糧にするために。で、↓のようなことを書きました。
負の出来事・負の感情は、「なかったことにする・忘れる」のではなく、「プラスの側面にも気づく」ことによって、陰陽が調和されたニュートラルな出来事・感情に変わります。
プラス面「だけ」を考えるようにする、というのは偏ったプラス思考で、ニュートラルではありません。
マイナス面とプラス面。
どちらもあることに気づき、しっかり味わう。
それが出来たとき、その経験が糧となり、人としてのキャパが拡がるのかもしれません。
まぁわかったようなことを書いていますが、現実的にはそんなに簡単ではありません。
傷が深い、闇が深いほど、そこからプラスの側面を見出してニュートラルにする、というのは簡単ではありません。
プラスの側面なんて見出そうとしたくもない、そもそもその出来事を思い出すことさえしたくない。
向き合う?
ほっといてほしい。
忘れられるなら、忘れたい。
なかったことにして、生きていきたい。
そうすることで、やっと心を守っていられる。
それくらい深く傷ついている人に「プラスの側面も見出してみよう」というのは、ただの薄っぺらいキレイごとで、なんの救いにもなりません。
うちのお客さんでも、僕の想像の範疇を超えるほどの壮絶な過去があり、心に深い傷を負っている方々がいます。
表面だけを見ると、明るく元気そうに見えるし、幸せそうにも見える。
でも外からは見えない奥の方に、闇を抱えている。
闇と向き合うのは、つらすぎる。
でも闇を抱えたままでいるのも、つらすぎる。
じゃあどうすれば?
その闇をみつけて、そこに光を照らしていきます。
その時に、気をつけたいこと。
100%闇のエネルギーに、いきなり100%光のエネルギーを注ぐと、だいたい拒絶されます。
長く深く暗闇の中にいる状態のところにいきなり強烈な光を注がれたら、不快でしかない。
メンタル的にもガッツリ落ちているときにポジティブ100%の言葉がけをされるとウザいですよね。
100%闇のエネルギーにいきなり100%光のエネルギーを注ぐことは、しない。
昔は、していました。
よかれと思って。
若かった。
でも今はしないようにしています。
それはもう、善意を元にした暴力だから。
ポジティブなエネルギーって、注ぐ方は気持ちいいんですよね。
なんか自分がいいことをやってるように感じられて、気分がいい。
でも役に立つどころか、光が悪い意味でまぶしすぎて、不快で、余計に闇を守る蓋を強化されてしまうこともあるんです。
それを経験から学び、気づきました。
だから、深い闇と関わるときほど、光の加減を慎重に調節します。
まぶしくて不快だと感じさせないように。
「光100%」ではなく、まずは「闇99%光1%」くらいで関わる。
それを受け容れてもらえたら、次は98:2、その次は97:3・・・というように。
そういうことを地道に続けていくと、どんなことが起こってくるのか。
100%黒歴史だと思っていた出来事の中に、少しずつプラスの側面を見出すことができるようになってくるんです。
いきなり50:50は難しい。
でも、100%闇しかなかったところに、1%・2%・3%と少しずつ少しずつ光が射し込んでくる。
そうなってくると、自然にプラスの側面にも気づくことができるようになってくる。
誰にでも多かれ少なかれ、あると思うのです。
どう考えてもマイナスにしか捉えられないような、過去の出来事が。
ネガティブ100%のエネルギーとして蓄積されている。
ほっといても支障がないなら、ほっとけばいい。
ですが、ネガティブ100%という偏ったエネルギーをそのまま放置しておくことで、その偏りがいろいろなところに影響してくることがあります。
それがみえない原因となって、表面的なココロとカラダの不調に派生してくることもあるのです。
ネガティブとポジティブ、闇と光、陰と陽。
調和してくればくるほど、ココロもカラダも楽になってきます。
そのためにできる、第一歩。
闇に光を注いでみましょう。
まぶしくてストレスに感じない程度の、ほのかな光から。
深い闇ほど光を感じるのは難しいですが、それでもあきらめずに向き合い、そしてそこに少しずつ光が注がれてきた実感が湧いてきたとき、皆さんこうおっしゃいます。
人生が変わりました。って。