パリ五輪のレスリング女子50kg級に出場した、須崎優衣選手。
前回の東京五輪では金メダルを獲得。
今回も「金メダル最有力候補の1人」という高い前評判でした。
が、初戦敗退。
それでも敗者復活戦⇒3位決定戦に勝利し、銅メダルを獲得。
初戦敗退後のコメントと敗者復活⇒3位決定戦勝利後のコメントから感じられる心境の変化が、個人的に印象深くて。
まず敗退後のコメント
東京オリンピックからの3年間は家族とかチームメートとか、東京オリンピックの前よりも多くの方々に支えてもらって、応援してもらって、戦ってきた3年間でした。皆さんの時間と努力をすべて無駄にしてしまったので、申し訳ない気持ちでいっぱいです
金メダリストになって、より注目度も期待も高まり、ありがたい反面、背負うものにもなる。
背負うものがあるからこそより力を発揮できる、ともいえるし、背負うものがプレッシャーにもなる、ともいえる。
敗戦後に観客席に向かって泣きながら謝罪をされていて、凡人には想像も出来ないものすごい重みを背負って戦っていたのだなと。
そして、3位決定戦勝利⇒銅メダル獲得後のコメント。
『オリンピックチャンピオンの須崎優衣でなかったら、もう価値がないのではないか』と思っていたのですが、ひとりの人間として応援してくださる方が多いことに気づけて『本当に私は幸せだな』と感じました。
この銅メダルがあって良かったって思えるように、4年後は必ずオリンピックチャンピオンになって皆さんと一緒に有観客のオリンピックで喜びを分かち合えるように、頑張りたいと思います。
「オリンピックチャンピオンでなかったら、価値がない。」
という思い込みを持つほどに、追い込まれていたんですね。
でも、負けたからこそ負けたあとの周囲の反応から「そうではなかった。」ということに気がつくことができた。
今回のオリンピックだけをみると残念な結果だったのかもしれませんが、人生レベルだとすごく大切な気づきを得た経験になったかもしれませんね。
もし今回も金メダルを獲って、それによって周りが大喜びする姿をみていたら「オリンピックチャンピオンだからこそ、価値がある」の思い込みがより強化されていたかもしれません。
もしそうなってしまったとしたら、外側では華々しい実績を重ねることになりますが、内側ではよりメンタルが削られより追い込まれることになっていたかもしれない。
そして、「この銅メダル(の経験)があって良かったと思えるようにしたい」という言葉。
金メダルを逃したときはあんなに悲壮感に溢れていたのに、数日でこんなに切り替えられるなんて、さすがですね。
・・・ということで、本題です。
須崎選手の
「オリンピックチャンピオンでなかったら、価値がない。」
という発言を見聞きして、どう思いましたか?
「いやいや、そんなことないよ。充分立派だよ。」
って、思いません?
僕は思いました。
須崎選手に対しては、そう思える。
では自分自身に対しては、どうでしょうか?
「●●でなければ、価値がない。」
自分自身に対してそういう思い込みを抱いてしまっている方、少なくありません。
そうやって自分自身にプレッシャーをかけ続けているのです。
ほとんどの場合、無自覚に。
きついですよ。
自分自身の存在価値の有無を、条件付きでジャッジしてしまうのは。
須崎選手は、金メダルを逃したことによって、「自分は金メダリストじゃなくても価値がある。」ということに気づけて、「本当に私は幸せだな。」と感じることができたんですよね。
すべての出来事には陰陽がある。
金メダルを逃したことは、ものすごくしんどい出来事だったのだと思います。
が、だからこそものすごく大切な・必要なことに気づくこともできた。
負の出来事・負の感情は、「なかったことにする・忘れる」のではなく、「プラスの側面にも気づく」ことによって、陰陽が調和されたニュートラルな出来事・感情に変わります。
プラス面「だけ」を考えるようにする、というのは偏ったプラス思考で、ニュートラルではありません。
マイナス面とプラス面。
どちらもあることに気づき、しっかり味わう。
それが出来たとき、その経験が糧となり、人としてのキャパが拡がるのかもしれません。
すでに世界トップクラスの競技力を持つ須崎選手が今回の経験を糧にして前進していった先の、4年後のオリンピック。
須崎選手の活躍が、今から楽しみです。
まぁ僕みたいな凡人のオジサンが世界的トップアスリートのことをなんだかんだ書いているのも滑稽なのですが。
オジサンもオジサンなりに日々の経験を糧にしながら自分の可能性を拡げていけたらと思います。
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