“触れる”の探究6回コース@東京・中目黒
先日の日曜日が、2回目でした。
ところで、僕の3大趣味が、
・神社仏閣めぐり
・温泉サウナ
・野球観戦
なのは、皆さんご存知の通りです(しらねーよ)
出張や旅行、近場でも出かけるときは、その場所にある神社仏閣は必ずチェックします。(温泉サウナも)
なぜそんなに、神社に行きたいのか。
信心深いから、ではありません。
歴史に興味があるから、でもありません(なくはないけど)
いろいろな神社の場のエネルギーを感じるのが心地よくて、それによって自分自身のエネルギーがととのうのも心地いい。
それはそう。
でもそれが1番の理由ではありません。
神社に行く、1番の理由。
それは「“触れる”を探究するため」なのです。
施術の時に必要な、知識・技術・経験など。
以前の僕は、自分に備わったそれを、自分の判断で使っていました。
お客さんの心身の状態を分析し、その状態を改善するために手持ちの知識・技術・経験を使う。
使っていたのです。
でもいまは、使っていない。
「使っている」のではなく「使われている」のです。
以前は、意図的に使っていた。
いまは、お客さん(のカラダ)に使われている。
僕の中にある知識・技術・経験を、僕の意図で使うのではなく、お客さんのカラダに引き出されるような感覚。
僕のしょーもないアタマで考えて使うよりも、お客さんのカラダに備わっている叡智にお任せした方が、いい感じで使ってもらえる。
で、僕の中にあるリソースを使ってもらうにしても、いろいろなエネルギーを体感し、経験値を増やしておいた方が、選ばれるときの選択肢が増し、深みが増す。
だから、そのためにストックしておきたいんですね。
いろいろな経験(エネルギー)を。
で、どんな経験をストックしておいた方がいいのか?
それも自分のアタマで考えるのではなく、僕自身に備わっている叡智に訊くのです。
そうしたら神社に行けって指令がよくくるから、行っている。
それが僕の神社に行く理由です。
これまでに積み重ねてきた経験が、「触れる」という超シンプルな行為を通じて、相手に伝わる。
なので、触れるを探究するとは、生き方を探究すること、なのです。
そういうことを理屈ではなく体感として共有する。
そんな講座です(どんな講座だよ)
あと4回も残っているのか。
楽しみだなぁ。