陰と陽。
陽は過大評価されていて、
陰は過小評価されていると感じます。
「陽」はポジティブで、
「陰」はネガティブ。
確かに、そういう側面もあります。
が、陰は忌み嫌うものではありません。
むしろ、
「陰があってこその、陽」
なのです。
<陰⇔陽>
みえない⇔みえる
目立たない⇔目立つ
陰陽対比の例えは無数にありますが、
まずはこの2つ。
セミナーの時によく出す例えなのですが。
紙に字を書くとします。
この場合、
「字を書く手」が、
「目立つ方」の役割なので「陽」
「紙がズレないようにおさえている手」が、
「目立たない方」の役割なので「陰」
です。
で、一般的に。
「字がうまいね!」って褒められることはあっても、
「紙のおさえが安定しているね!」って褒められることはありません。
でも!
しっかり紙をおさえてくれているから、
字が書けるわけであって。
いくら字が上手くても、
紙がブレっぱなしだと書くのは大変なのです。
だから、
評価されるのは陽だとしても、
その陽を輝かせているのは陰なのです。
むしろ、
陰がちゃんと発揮されているからこそ、
陽は本来の能力が発揮できるのです。
そう考えると、
陰と陽は対等な関係でもありません。
「陰があってこその陽」
なのです。
もう1つ、同じような例えを。
包丁できゅうりを切るとき。
包丁を持つ手が「陽」
きゅうりをおさえている手が「陰」
です。
いくら包丁の使い方が達人クラスでも。
しっかりきゅうりをおさえておかないと、
その能力は発揮できませんよね。
「陰があってこその、陽」なのです。
もちろんですね、陰だけでも、なにも起こりませんよ。
ただ、紙をおさえているだけ。
ただ、きゅうりをおさえているだけ。
なにも起こりません。
だから、陽が要らないって言いたいわけではなくて。
陽は実際に目に見える変化を起こすためには、
必要なエネルギーです。
が!
だからといって、
陽だけでなにかができるかというと、
それも難しいのです。
「陰があってこその、陽(4回目)」なのです。
「陰があってこその、陽(5回目)」なのに、
やっぱり陰って、評価されないんですよね。
ちなみに。
「陰」を違う表現にすると「女性性」になります。
「陽」は「男性性」です。
「男性性優位のこんな世の中じゃ・・・ポイズン」
「もっと女性性を大切に!」
と叫ばれている皆さん。
ほんとうの意味で「陰」を大切にしていますか?
陽が「活動」だとすると、陰は「休息」です。
「がんばったから、休む」
というのは、男性性優位な発想です。
「休んだから、がんばれる」
というのが、女性性優位な発想。
字を書いてから、紙をおさえるんですか?
包丁を動かしてから、きゅうりをおさえるんですか?
違いますよね。
じゃあ「がんばったから、休む」も、違います。
しらんけど。
「休むことに価値を感じられる」のが、
「女性性を大切にする」ということでもあります。
「ちゃんと休む」というのが、
「女性性を大切にしている」ということ。
カラダは休んでいたとしても、
スマホをみていたり、
思考がグルグルしていては、
「ちゃんと休む」
になっていません。
思考⇒男性性
感覚⇒女性性
思考が鎮まって、
感覚優位になって。
ボーっとしてるだけなのに、
「なんか心地いいなぁ」と「感じて」いるとき。
そういう時が、
「ちゃんと休めている」ときです。
世界平和って、
原因も結果も複雑すぎて、
よくわかりませんが。
社会の調和を取り戻すためには、
「陰主陽従」という自然法則を取り戻すことが必要な気がします。
でも、
僕の力では、
社会全体に影響を及ぼすことなんて、
とてもできません。
何千年も続いてきた男性性優位の社会が、
いきなりガラッと変わるとも思えないし。
でもまずは、自分から。
「陰主陽従」の在り方に少しずつシフトして、
その在り方で周りの人に関わっていきたいと思っています。
その第一歩が。
「ちゃんと休む」
そして、
「休むことの価値を腑に落とす」
そしてかがやくウルトラソウッ!